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小説を楽しむのには訓練がいるという話

某ホワイティな人のTLでこんなのを見かけた。

差別問題と言っても過言ではない #小説サークルあるある http://togetter.com/li/787828

表紙見る→めくる→「(チッなんだ)小説か…」

ってのはよくあるらしい。

「ここは【コミック】マーケットなんだからマンガ以外はサークル参加するな、落選したサークルの迷惑を考えろ」と面と向かって言われる

ひどい事言う人がいるもんだ…
コミケはあらゆる媒体の創作を認めてるんだが…


かくいう私も小説書きなので、漫画に比べると云々みたいなジレンマは多少なくもない。

ただねー、
「漫画以外は出すな」なんて言う輩は論外として、
「なんだ小説か」っていうのはね、(顔に出すのはよくないけど)仕方ない側面もあるかなって思ってるんだわ。


というのもね、
小説って漫画に比べると、読む人に要求する項目がすごく多いんですよ。

・読むのにかかる時間
・知識(単語力 猫という単語から猫の姿が浮かぶか?)
・一定の国語力
・集中力
他にもいろいろあるかもしれない。

いわば鑑賞するほうに手伝ってもらって(想像力を付加してもらって)成り立つのが小説なんだわ。

小説ってのは内容を理解してもらう為に、読者にある一定のレベルの教養(と読むための時間)を要求してしまうんだよ。

たとえば今、私、冬山が舞台の小説を書くために新田次郎の「孤高の人」読んでるんだけど、あれって登山の知識があるのが前提の文章なものだから、登山部分が半分も理解できない。ラッセルってなんだっていう。
でもこれ、少なくとも漫画ならラッセルが何してるかは絵を見ればわかる。
つまり漫画がある種、小説に対して優越してるってのはそーゆーことなんだよ。

小説→漫画→アニメ(映像作品)に段階が進むと、鑑賞は受動的になってラクになる。段階が進むにつれて鑑賞する人が「手伝う」度合いが減っていく。
つまるところ理解をするために必要な情報を本人が調べなくて付加してくれるのが、漫画や映像なのね。

裏を返せばね、その分手間がかかってるの。
お前の小説の1ページ分、漫画にしたらものすごい作業量だぞ!
ただし、作業量こなした分だけ読者ハードルが下がるぞ!
そういうことなわけさ。
「伝える情報量を(主に視覚的な意味で)増やした」のが漫画なのね。

だから「なんだ~小説か~」ってのは
私はそれを楽しむ訓練までは積んでません、という事。

一部の活字中毒を除いて、小説は鑑賞するのに時間と労力がいるものなんだ。
たぶん我々字書きが思ってる以上にね。

考えてもみろ。
小学生はいきなり「山月記」とか読めない。
小学校から高校へと続く国語教育があって初めて読めるんだ。
私、高校生の時、正直あれ読むの大変だった。


つまり

× 小説がダメ・小説が差別されている
○ 読み手の練度があなたの小説を楽しめるところまで行ってない

って考えたほうが、幸せになれる気がする。


小説はね、漫画に比べたら、手に取る数が少ないのは当たり前なの。
読者を選ぶの。楽しむためには訓練がいるの。
そういうメディアなんですよ。
  1. 2015/03/05(木) 02:18:07|
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